「あの人、センス良いよね。」
「ここのインテリアは高そうなものばかりだけど、センスが悪いね。」
「都会で暮らすようになって垢抜けて、センスが良くなったんじゃない。」
そんな風に使われることの多い、”センス” という言葉。
あなたは自分の『センス』に自信がありますか?
誰かに「センス良いね。」と言われたら、誰だって悪い気はしません。「センスが悪い」と思われるよりも、当然「センスが良い」と思われたい、誰もがそう考えます。
でも、この『センス』って一体何なのでしょうか。
「こうすればセンスが良くなる。」とか、「これは間違いなくセンスが良い。」というように、『センス』そのものに ”正解” は存在するのでしょうか。
今回はそんな『センス』というものについて考えてみたいと思います。
『センス』ってなにもの?
なんとなく感覚では理解できても、明確な正解は?と言われると判らなくなってくる『センス』。
センスが良いということを、英語では、「sophisticated 」という言葉で形容します。
日本人がよく言う「ハイセンス」というのは、実は和製英語であり、英語ネイティブに言っても通用しません。
ちなみに「センス」という単語を辞書を引いてみると、
- 物事の感じや味わいを微妙な点まで悟る働き。感覚。また、それが具体的に表現されたもの。「文学的なセンスがある」「センスのよくない服装」「バッティングセンス」
- 判断力。思慮。良識。「社会人としてのセンスを問われる」
とあります。
つまり、「センスが良い人」というのは、
『ある特定のものに対し、その細部に至るまで「違いを感じ取る」ことができ、それを上手く表現・使いこなすことができる人』
という風にでも解釈すれば良いでしょうか。
んー、やっぱりなかなか難しいですね。
ただ、一つ言えることは、センスというものは、『知識でカバーできるもの』と、『知識でカバーできないもの』に分けて考えることができるということです。
つまり、「センスが良いな。」と思わせる ”いで立ち” の人が、アパレルに感する圧倒的な知識を有しているとも限らない一方で、文学的知識に裏打ちされた表現力を持って、見事に洗練された文章を書く作家というのもいるわけだ、ということです。
もちろん、そのいずれもある程度の知識は持っているにせよ、例えば「運動センス」や「芸術的センス」、「車の運転のセンス」や「インテリアのセンス」が良い人が、皆が皆、圧倒的知識を有しているわけではないのです。
辞書に書かれた意味からすれば、「文学的なセンスのある人」というのは、文学に関する知識が豊富であるというよりも、優れた文学作品の様な表現ができるとか、文学作品の中でも優れた作品を嗅ぎ分けられる、ということにも捉えることができるでしょう。
「センスのよくない服装」というのもそうです。服装に関してセンスがないとみなされる人は、服装に関する知識量が圧倒的に欠如しているというよりは、服装というものの微妙な違いを感じ取る事ができず、かつ、それを自分が身につけるモノに反映することができない、ということではないでしょうか。
一般に、デザイン関係やアパレル、あるいはインテリアなどのように、いわゆる「美しい」こと、「カッコイイ」や「カワイイ」を追求する職種、またはそれに携わる人たちに必要とされる能力、『センス』。
しかし、一口に「センスが良い」と言っても、感じ方・受け止め方は人によって違います。
よく洋服のセンスが良いと言われるAさんは、10人中10人、Aさんを見た誰しもに「センスが良い」と言われているでしょうか。そうとも限りません。
それはなぜか。
そこには、評価する側の『センス』が介在するからです。
デザインの異なる椅子がいくつも並んでいるとします。その中から「オシャレな」、「センスの良い」1脚を選べと言われれば、間違いなく意見が分かれるでしょう。
では、一般に「センスが良い」と思われるためには、多数派に入る必要があるということになってしまうのでしょうか。
これにも疑問符が付きます。
なぜなら、会議などで誰も思いつかないような奇抜な発想で発言する人に「センスが良い」という感覚を持ったり、普通の人がなかなか選ばないカラーのバッグを何の違和感も感じさせることなく使いこなす「センスの良い」人もいます。
つまり、こうした点からも、「センスが良い」ことと、「多数派に入っている」ということとは別物であることが分かります。
では、どうすれば「センスが良い人」になれるのでしょう。
『センスが良い人』になるための条件
私が思うに、「センスの良さ」を追求するためには、
- 審美眼
- こだわり
- 『外す』技術
この3点が重要なのではないかという気がしています。
【審美眼】本物を知る
何はともあれ、どんな分野でもその分野における”本物”を知っていなければ『センス』は磨かれないのではないかという気がします。
なぜなら、やはりセンスが求められるようなものというのは、その「価値」といった”背景”を感じるという部分もあると思うからです。
同じ様なデザインのTシャツを着ている2人がいるとします。一方が百均のTシャツ、もう一方はブランド物のTシャツと、その価格に物凄い差があったとしても、百均のTシャツを着ている人の方がセンスが良いと感じる場合は十分にあり得ます。
つまり言うまでもなく、「高価なもの」と「センスの良いもの」は全くの別物だということです。
高いブランド品さえ身にまとっていれば、センスが良く見られるということは決してありません。
しかし、「センスを磨く」という意味において、本当に良いものを知るということは、非常に重要なのではないかと感じるのです。
世の中の全てのモノ・サービスには、同じ種類のものでもピンからキリまで大きな差がある ”別物” が存在しています。そんなモノの良し悪しをまず知ることで、センスを嗅ぎ分ける力の土台のようなものが身についていく気がするのです。
自分にセンスがないと感じる人は、俗に「センスが良い」言われている「人」「モノ」を観察する、ということがまずは大切なことなのかもしれません。
一般に、「センスが良い」と言われるものと、「センスがない」と言われるものとの間にある違いとは一体何なのか、ということを徹底的に見極めるという練習をする必要があるのです。
本物を知り、センスが良いと言われるものを嗅ぎ分ける能力を磨いていくことで、自分もセンスが良い人間に近付いて行けるのではないかと思います。
田舎町で一緒に育った同級生が、都会で暮らし始めて垢抜けた感じになり、センスの良い出で立ちで現れた、とか、センスが良いと思っていた有名人が、ど田舎の出身で驚いたなどという経験をしたことがあるという人も多いでしょう。
彼ら彼女らは、元々センスが良かったのではなく、センスを ”磨いていった” のです。
目指すはそこです。
センスは鍛えられます。やってみましょう。
【こだわり】人にない自分だけの世界をもつ
また、センスが良い人というのは、往々にしてそれぞれに「こだわり」があるようにも感じます。
例えばリビングのインテリアコーディネイトを例に取ってみましょう。
すべての家具をセンスの良いもので揃えたとしても、本当にセンスが良い人というのは、どこかに自分のこだわりを残すことが多いです。
もちろん全体の調和を乱さない範囲での話ですが、多かれ少なかれ僅かにキラッと光るこだわりを残す部分がまたセンスを際立たせてくれる気がするのです。
ファッションセンスなどでも、よく ”差し色” と言うように、モノトーンのコーディネートの中に一部目立つ色を入れることでメリハリを生み出したり、そこに自分のセンスを際立たせるといった手法が行われることがよくあります。
このあたりは非常に上級テクニックとも言うべき、さらに難しい部分になってくるかもしれませんので、初心者はうかつに手を出さない方が無難なのかもしれません。
【『外す』技術】型や常識に囚われない
さらに、これは「こだわり」にも通ずる部分ではありますが、「センスが良い人」というのは、あえて「外す」という選択肢も持っている気がします。
これは、特に冒頭の「センス」の定義でも出てきたように、微妙な箇所の違いに至るまで感じ取る能力というものが必要になってくる部分ではあるのですが、人が美しいと感じる様な「型」や「先入観」といった部分から大きくハズれてしまうことなく、ちょっとした「外し」を入れられるかどうかによっても、センスの良さを感じさせることが出来るのではないかと思います。
前述のように、モノトーンの装いの中に、差し色となるアクセサリーを付け足してみたり、定番料理のメニューの中に意表を突く食材を盛り込んでみたりと、様々なシチュエーションが考えられますが、この「外し」を入れることで「センス」というものをより輝かせることができるということもあるかもしれません。
色に関する”知識”でセンスよく魅せる
”センスの良さ” というものを評価する際に、その対象となる物の「色」が重要になることは往々にしてあることです。
洋服選びにおけるセンスも色合わせは非常に重要な要素となりますし、インテリアをセンスよく魅せる際の採用する家具の色もしかり、身につけるものや普段手にしているものの色が何色かでその人のセンスがにじみ出てしまうこともあるでしょう。
つまり、”どういったものを選ぶのか” というセンスと同じぐらい大切なこと、それが ”どういった色を選ぶのか” という観点であると言えるのです。
であるならば、朗報です。
実はここに関しては「知識」で補うことが可能だからです。
人が「素敵。」「美しい。」「センスが良い。」と感じる色=カラーには、一定のルールというものが存在します。この色にはこの色を合わせると色どうしがケンカをしないとか、この色にはもっと違う色を合わせた方がセンスが良い、といったある程度明確な決まりというものがあるということです。
ですので、そこは勉強して一気にセンスを高めていきましょう。
まとめ
さて、今回は「センス」および「センスが良い」ということについて、私なりの解釈をお話してきましたが、
「(この記事を書いている)お前のセンスはどうなんだよ。」
というご意見もあるでしょう。
当然、私も自分のセンスに自信があるわけではありません。
でも、やっぱり「センス良くいたいなあ。」という思いは常々抱いているというのも事実です。
「インスタ映え」や「自分らしい生き方」など、様々な価値観や評価軸が生まれ、一般人にもある程度のセンスが要求されつつある昨今ではありますが、最終的に行き着く先というのは、「自分が美しいと感じる」ことが大切だという結論であり、それ以上でもそれ以下でもない気がします。
自分自身が「楽しい」「美しい」と感じる以上に重要なことなど存在しませんし、(人様に迷惑をかけてしまっていない限りにおいては)誰に文句を言われる筋合いもありません。
でも、そうは言っても、やっぱり人間である以上「承認欲求」が邪魔をして、「人によく見られたい」「周りに褒められたい」といった欲望も捨て切れないのが現実です。
いやー、悩みはつきません。
今回の記事が、あなたのセンスを高めることに一役買うことができたかどうかは判りませんが、自分のセンスに自信がないという方は、真の「センスが良い人」へと成長していくためにも、まずは「センスの良い(と言われる)モノ」、「センスが良い(と言われている)人」を参考にして、真似をしてみることが第一歩なのかもしれませんね。
磨き ”続け” ましょう、自分のセンス。